Pierrot Le Fou

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LES FALBALAS DE JEAN PAUL GAULTIER


皆様、いよいよ冬がやってきましたね。
わたくしは、日々リスの毛皮を切なく撫でております。

エゾリスならまだしも、シマリスなら目頭熱くなりますわね。


本日、ご紹介いたします、我がディーバ!

学校の面接の時に志望動機で「ジャンポールゴルチエのアシスタントになりたいです!なので、フランス語勉強します!!」と、とぼけた回答をしてしまった過去があります。
その度に先生に、「ゴルチエさんはそんなに甘くないわよ。」と小声で言われてました。

さて、わたくしの小言はさておいて本題でございます。


今回のお客様は、Jean-Paul GAULTIER様です。



なぜか、彼、いいえ彼女には小さい頃から惹かれておりました。
ゴルチエのようになりたくてボーダーを着、
ゴルチエのようになりたくてアバンを目指し、
ゴルチエのようになりたくてDVDを何回も観て、、、


1952年4月24日生まれの57歳のバニュー生まれの一人っ子でございます。

祖母がお針子で、幼い頃から裁縫に興味を持ち友達と外で遊ぶよりも服を作るのに興味を持っておりました。
彼の祖母は、彼がカミングアウトする前からゲイだと分かっており、非難する事もなく共に過ごしていました。
カミングアウトをするずっと前の事、彼はまだ自分の事がよく分からずにいた頃
高校生のときに初めてガールフレンドが出来ました。
しかし、なにかしら違和感を感じ、幼い頃から思っていた感情が彼を悩ましていました。
そんな彼を優しく見守っていた彼の祖母は彼の女神なのです。
彼は愛のシャワーを存分に浴びれる家庭で育ちました。

デザイン学校に通わなかった彼は、自分のスケッチとデザインをピエールカルダンの元に送りました。
その才能を認められ、彼は若干18歳と若くしてすぐに彼のアシスタントになりました。



1976年、彼はJean-Paul GAULTIERの名でコレクションを発表し、1977年にプレタポルテにデビューします。
1981年になると独特のデザインも固定されるようになりました。
1997年にオートクチュールを発表し、モデルは全員男性という前代未聞のコレクションでした。
ラストの男性モデルがマリエを着てさっそうと歩く姿は誰もが惜しみなく拍手を捧げました。
男性と女性の境界線をなくし、常識に捕われないという今のゴルチエファッションにもつながる出来事です。
彼の永遠のテーマは性別の壁を取り払う事。
それは、女を男らしく、男を女らしくする事なのです。

1974年に法律を勉強していたビジネすパートナー兼、恋人のFrancis Menugeに出会います。
しかし1990年エイズの為この世を去った彼はゴルチエを失意のどん底に落としました。
仕事にも手を付けれなくなり、ただ家に引きこもっているだけでした。
しかし悲しみを乗り越え、Francis Menugeをオマージュしたコレクションを開きます。
小鳥がさえずる中、モデルはペアになりランウェイを歩きます。

その後、「コックと泥棒、その妻と愛人」「フィフス・エレメント」「ロスとチルドレン」などの映画衣装を手がけます。
90年にはマドンナのツアー衣装も担当します。

彼が大好きな映画は「偽れる装い」です。彼は涙しながらそれを観ます。
アトリエで働く人たちは強制で観ないといけません。




1994年のコレクションではこの映画をテーマしたショウを開きます。





その後、モデルという概念を覆すかのようにすばらしいコレクションを開きます。




最後に男臭い香水のcmをご覧くださいまし。







わたしが大好きな尊敬するデザイナーの一人をご紹介いたしました。
ではまた。







 





  1. 2009/12/17(木) 00:10:55|
  2. 月刊男前
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